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美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【下・帰郷編】

美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【下・帰郷編】

これまでのあらすじ

前回までの内容はこちら。

美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【上・浪士組編】

幕末、多くの志士たちが日本の未来を斬り拓こうと刀を奮ったことは広く知られるところですが、中には男性だけでなく、女性が活躍した記録も一部に残されています。今回はそんな一人・中沢琴(なかざわ こと…

美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【中・戊辰戦争編】

前回のあらすじ前回の上編はこちらから[insert_post id=98832]時は幕末、浪士組に入れて貰えなかった上州の女剣士・中沢琴(なかざわ こと)は、男装して無理やり京都に同行…

時は幕末、新徴組の一員として江戸の市中見回りや海防警備に当たっていた男装の女剣士・中沢琴(なかざわ こと)

倒幕の機運がエスカレートする中、日本を二つに分断する戊辰戦争に巻き込まれた琴は、兄・貞祇(さだまさ)と共に主君である庄内藩の一員として奮闘。

戦闘でこそ新政府軍を圧倒したものの、同盟諸藩が次々と降伏する中で天下の趨勢を覚った庄内藩主・酒井忠篤(さかい ただずみ)は、とうとう降伏を決断するのでした。

降伏した琴や貞祇、庄内藩士たちの運命は?

……さて、降伏した庄内藩、そして琴や貞祇たちを待ち受けていたのは、新政府軍の総大将・薩摩の西郷隆盛(さいごう たかもり)による寛大な措置でした。

通常、和議の場における敗軍の将士は武装を解かれた丸腰で力関係を受け入れさせられるのが習いでしたが、明治元1868年9月27日、庄内藩の本拠である鶴ヶ岡城に入った西郷は逆に庄内藩士の帯刀を許し、逆に自分自身を含めた味方は丸腰となって交渉に臨みました。

2ページ目 実に12年ぶりの帰郷、琴は37歳前後に

 

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