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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第6話
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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第5話
前回の【小説】国芳になる日まで 第4話はこちら[insert_post id="72742"]文政七年 正月 (5)吉原遊廓を出た国芳は、夜道を駆けた。提灯を借りずとも月が澄んで…
文政七年 春(1)
夢のような話だと思う。
朝目覚めたら、夕べには何もなかった窓の外に艶麗な桜の大樹が咲きすさんでいるなんていうのは、娑婆の女にとっては夢物語に違いない。しかしこの吉原の廓内(なか)では、毎年三月になると当たり前にそれが繰り返される。
(目が覚めても、夢の中みたい)
みつは半ば切なく、半ば誇らしくそう思っている。それが幸せな事なのか不幸せな事なのか、生み落とされた時からこの吉原遊廓に生きるみつには分からない。
卯の刻。
小夜がほのぼのと明け始めるこの時刻、みつは毎朝帰り客に添って見送りに出る。付き合いの浅い客は店の間口まで、馴染みなら五丁町を抜けて大門までゆく。京町一丁目から仲之町に出る木戸門を潜った時、目の前に広がる光景にほうっと嘆息した。この時期には、仲之町のあちこちから感嘆のため息が漏れ聞こえてくる。
(なんて、贅沢な眺め)
青竹の欄干に囲われた満開の桜が、水道尻から大門口までまっすぐ仲之町の中央を貫く。その数、一説に数千本。それを数日で移植するのだから、吉原に出入りする高田の植木屋の所業には瞠目せざるをえない。
純白の光と陰翳(かげ)の粒が無数に寄り集まって、春風にふるえる花ひとひらを織りあげる。そのひとひらが幾千幾万の花の波となり、寄せては返す桜の雲海を作った。
春爛漫。
たとえようもなく美しい吉原遊廓の春である。
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