女子扱いされた少年の覚醒!設定盛りすぎ?武将・長宗我部元親の伝説はなぜここまで豪快なのか
戦国武将の多くは華やかな出自を名乗りましたが、そのなかでも飛びぬけていたのが長宗我部家。
彼らはなんと「自分たちは秦の始皇帝の末裔だ」と語っていたのです。もちろんこれは史実として証明されているわけではなく、中世武士がよくやった“自称ルーツ”のひとつ。
しかし土佐の一族が中国の皇帝を名乗るというスケール感は桁違いで、その大胆さが長宗我部家の魅力ともいえるでしょう。
こうした伝承の存在そのものが、戦国時代の価値観や当時の武士たちの「物語づくり」を感じさせてくれます。
今回は、そんな長曾我部家に生まれ、数々の伝説を持つ「長宗我部元親」について紹介します。
※合わせて読みたい記事↓
溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【前編】
戦国期。四国の戦国大名「長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)」は名君として名を馳せたが、嫡男である信親を戦で失うと生来の器量は失われ人格が豹変したという。[caption id="attach…
女子扱いされてきた華奢な少年の覚醒
壮大なルーツを背負う家に生まれたのが、長宗我部元親(もとちか)。
後に「四国の怪物」とよばれる彼ですが、幼い頃は色白・大人しい・華奢な容姿で家中でも女子扱いされていたという伝承が残されています。
そんな元親の初陣は22歳。周囲の武将と比べてもかなり遅めです。
しかも有名な逸話として、戦場へ向かう途中に槍の使い方を聞いたという話もあります。
家臣が「敵の目を突けばよろしい」と言うと、元親は恐れることなく勇猛果敢に突撃。敵の騎馬を次々となぎ倒した……と語られます。
2ページ目 四国平定後の怪物 〜 家は滅びても、元親の魅力は失われず
ページ: 1 2

