【豊臣兄弟!】佐々成政の切腹理由、鍋丸は実在?母が暴く秀次の本心…忍び寄る豊臣家“崩壊の兆し”:3ページ目
秀次は本当に小一郎が嫌いなのか?
今回の放送を通じて、秀次の心情は視聴者の心に引っかかったと思われます。
秀吉の後継者として豊臣家中の重きを占めつつある秀次は、秀長に対して複雑な感情を見せていました。
そんな秀次に対して、母のともが「あんた、小一郎のことが嫌いなの?」とストレートに問いかけます。
そんなセンシティブなことを、誰が聞いているともわからない場所で聞くな、とちょっと肝を冷やしましたが……この一言は、秀次本人すら整理し切れていなかった感情を浮き彫りにするものだったのかもしれません。その葛藤が、秀次の表情から感じとれました。
秀長は秀吉の弟であり、兄嫁である寧々(浜辺美波)と共に豊臣政権を築き上げ、支えている最大の功労者であることは言うまでもありません。
しかし若き秀次から見て、自身が豊臣家の後継者として名実ともに認められる上で、秀長の存在が大きな壁として感じられていたのではないでしょうか。
豊臣家の身内同士でありながら、それぞれ異なる立場にあって背負う役割も違います。単なる嫉妬だけでは説明できない感情がともの一言であぶり出され、これからの豊臣家に生じる亀裂を予感させるものでした。
義昭改め昌山との再会
頭を抱える秀長を訪れたのは、かつての室町将軍・足利義昭(尾上右近)……改め、出家して今は足利昌山(しょうざん)と号しています。
かつて織田信長(小栗旬)に京都を追われてからおよそ15年が経った天正15年(1587年)に帰京し、秀吉から1万石の所領を与えられていた義昭は、翌天正16年(1588年)に朝廷へ征夷大将軍職を返上しました。これをもって名実ともに室町幕府は滅亡したことになります。
劇中では、かつて明智光秀(要潤)との決別によって判断を誤ってしまった過去を振り返り、秀長に対して秀吉から離れないよう(秀吉に道を誤らせないよう)教訓を与えていました。
ちなみに義昭は秀吉の臣下として元将軍の権威を発揮し、慶長2年(1597年)に61歳で世を去ります。
果たして義昭改め昌山の目に、豊臣兄弟が築き上げた豊作の世はどのように映ったのでしょうか。
4ページ目 佐々成政はなぜ切腹となったのか?黒田官兵衛との違い

