秀長に毒殺された!?『豊臣兄弟!』で割愛の紀州攻めで徹底抗戦を貫いた湯川直春の悲劇の末路
大河ドラマ『豊臣兄弟!』 第36回「姫若子と鬼若子」では四国攻めが劇的に描かれましたが、実はその直前、羽柴兄弟を本気で焦らせた「紀州攻め」が割愛されていたのをご存知でしょうか?
今回は紀州攻めで羽柴兄弟に対抗した一人・湯川直春(ゆかわ なおはる)を紹介したいと思います。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
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討死した父から家督を受け継ぐ
湯川直春は紀伊亀山城主(和歌山県御坊市)を務める湯川直光(なおみつ)の長男として誕生しました。
生母は不詳、弟には湯川信春(のぶはる)・湯川景春(かげはる)と春つながりとなっています。
やがて成長した後は中務大輔(なかつかさだいゆう)の官途名を称しました。
湯川氏(湯河とも)は紀伊国の日高平野一帯を支配する国人勢力で、守護大名の畠山高政(はたけやま たかまさ)に仕えます。
父の直光が永禄5年(1562年)5月に三好長慶(みよし ちょうけい/ながよし)との合戦(教興寺の戦い)で討ち死にしてしまったため、直春が家督を継ぎました。
直光は雑賀衆(さいかしゅう)と同盟関係にあり、家督を継いだ直春もまた同盟を継続する旨の起請文を交わしています。
一度は織田に与するが
やがて元亀元年(1570年)に畿内を制していた織田信長が、畿内奪還を図る三好三人衆(三好宗渭・三好長逸・石成友通)と戦った際は、織田に加勢しました(野田・福島の戦い)。
しかしその後もずっと信長に臣従したかと言えば、そういう訳ではありません。
天正元年(1573年)に信長と対立していた室町将軍・足利義昭から協力を要請された直春は、これを受け入れました。
天正4年(1576年)に石山本願寺が信長に勝利した際(木津川口の戦い)は、本願寺に対して祝勝の書状を送っていることから、本願寺に与していたことがわかります。
その後、直春が信長と接近することはなく、根来衆(ねごろしゅう)や雑賀衆と共に織田政権と敵対しました。

