秀長に毒殺された!?『豊臣兄弟!』で割愛の紀州攻めで徹底抗戦を貫いた湯川直春の悲劇の末路:3ページ目
秀長に毒殺される?
かくして平和を取り戻した直春ですが、それも永くは続きませんでした。
翌天正14年(1586年)2月に直春は大和郡山城(奈良県大和郡山市)を訪れ、羽柴秀長と謁見します。
すると秀長は直春を大和郡山城に留めおきました。直春は困惑したでしょうが、下手に動く訳にもいきません。
そして月日は流れて同年7月、直春は毒殺されてしまったそうです(諸説あり)。
直春の子である湯川丹波守(湯川勝春または湯川光春)は秀長家臣となって3千石の知行を与えられますが、湯川家の本領は召し上げられてしまいました。
やがて天正19年(1591年)に秀長が世を去り、文禄4年(1595年)に秀長の婿養子であった羽柴秀保(ひでやす。秀長の甥で姉ともの三男)も世を去ると、大和大納言家(秀長の家系)は断絶します。
その後は浅野氏に仕え、元和5年(1619年)に安芸広島へ転封となった浅野長晟(ながあきら)に従って安芸国へ移住したということです。
終わりに
今回は秀吉・秀長の紀州攻めに立ち向かった国人・湯川直春について、その生涯をたどってきました。
本作では割愛されてしまいましたが、こういう地味なマイナー武将の武勇伝は、胸が熱くなるものです。
これからもこうした人物を発掘・紹介していきたいと思います。
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※参考文献:
- 戦国合戦史研究会 編『戦国合戦大事典 第四巻 大阪 奈良 和歌山 三重』新人物往来社、1989年3月
- 和歌山県史編さん委員会 編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年3月
- 和歌山県史編さん委員会 編『和歌山県史 中世』和歌山県、1994年3月

