超危険なギャンブル?『逃げ若』や『風、薫る』にも登場した「すごろく」が中世日本を熱狂させた理由
「すごろく」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。
正月に家族で遊ぶ、紙の上のマスを進んで「ゴール」を目指すゲーム。そんな姿を想像する人も多いでしょう。
ところが、日本で古く「双六」と呼ばれたものは、現在のすごろくとはかなり違いました。
白と黒の駒を盤上で動かし、賽(さい)=サイコロの目によって勝敗を競う「盤双六」です。
朝ドラ「風、薫る」では明治の女性像を映す小道具として絵双六が登場し、『逃げ上手の若君』では中世京都を舞台に双六勝負が描かれます。さらに平安時代の白河法皇にも、双六にまつわる有名な逸話がありました。
実は双六は、千年以上にわたって日本人の「運」「出世」「人生」を映してきた遊びだったのです。
双六がどのように人々に関わり、どのような姿を映し出したのか。双六の歴史について見ていきましょう。
日本最古級のボードゲーム?白河法皇さえ悩ませた「盤双六」
日本における双六の古い記録は、すでに古代に登場しています。
『日本書紀』の持統3(689)年12月には双六を禁じたことが記されていました。つまり7世紀末にはすでに遊ばれていたことが分かります。ここから、双六は後世まで賭博性の強い遊びとしてしばしば禁令の対象となりました。
奈良・正倉院には「木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)」という豪華な双六盤が伝わっています。
紫檀を貼り、象牙や鹿角などを用いて装飾した品で、『国家珍宝帳』にも記載された宝物です。
盤双六では、白黒それぞれ15個の駒を使用。二つの賽を振って駒を進めました。
これは現代のバックギャモンを思わせる盤上遊戯で、賽の目が勝負の行方を大きく左右します。
そしてここで思い出されるのが白河法皇です。
『平家物語』巻第一「願立」には、白河院が意のままにならないものとして「賀茂河の水、双六の賽、山法師」という天下三不如意を取り上げています。
洪水を起こす賀茂川、強訴を行う比叡山の山法師、そしてサイコロの目。
絶大な権勢を誇った人物でさえ、「運」だけは操れないというわけです。
2ページ目 まさにギャンブル!『逃げ上手の若君』の双六勝負は、中世らしい?
