手洗いをしっかりしよう!Japaaan

織田信長は本当に「宗教嫌い」だったのか? 延暦寺焼き打ちと安土宗論から見えてくる「意外な線引き」

織田信長は本当に「宗教嫌い」だったのか? 延暦寺焼き打ちと安土宗論から見えてくる「意外な線引き」:3ページ目

敵か味方か

信長が一向宗と激しく戦ったことも、宗教嫌いという印象を強めています。長島一揆は一五七〇年から一五七四年まで続き、最後の総攻撃ではほぼ二万人の門徒が殺害されました。

石山合戦でも、一五七〇年から一五八〇年まで石山本願寺との戦いが続いています。ここだけを見るなら、信長が宗教勢力にきびしい人物だったという印象が強くなるのは無理もありません。

ところが石山本願寺との戦いでは、異例の判断も示しています。信長が優勢になったところで本願寺が妥協を求めたところ、正親町天皇の勅命によって講和を成立させたのです。

そして本願寺のトップである顕如は大坂を退去しました。信長は、情勢を見て、最後まで戦い続ける必要はないと判断したのでしょう。

これは信長が宗教勢力を一律に攻撃していたわけではないことを示しています。温和な宗教団体として活動するだけなら干渉しませんが、そのかわり敵対すれば軍事的な脅威として対処するという線引きをしていたのです。

したがって、信長=宗教嫌いという単純な図式だけでは、彼の行動原理は説明できないのです。

戦国時代の宗教勢力は、大きな政治力と軍事力を持っていました。信長は宗教への好き嫌いよりも、それが自分の敵か味方かを重視していたと考えるのが自然でしょう。

※関連記事:

時の権力者に屈服せず武装化!源頼朝や織田信長も恐れた僧兵集団 「比叡山 延暦寺」の武力【前編】

平安時代末期の武家政権誕生によって、日本では武士中心の時代が幕を開けた。その中で、武士や貴族の支配に抗い独立した権威と武力を持った存在が「延暦寺(えんりゃくじ)」だ。今回は、時の権力者に屈服…

戦国時代、織田信長の「比叡山焼き討ち」本当の理由は宗教弾圧ではなく“脱税の摘発”だった!?

寺社の脱税特権よく中世日本では、武家が社会の中心にいたと語られがちですね。しかし、同じ時代にもう一つ、見逃せない巨大勢力が存在していました。それが寺社です。古代から寺社は税を免除さ…

参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
画像:Wikipedia,PhotoAC

 

RELATED 関連する記事