織田信長は本当に「宗教嫌い」だったのか? 延暦寺焼き打ちと安土宗論から見えてくる「意外な線引き」:2ページ目
延暦寺攻撃の理由
では、なぜ比叡山延暦寺は攻撃されたのでしょうか。ここでは一五七一年九月という時期を確認する必要があります。
このころ信長は、足利義昭が進めた「打倒信長」の動きにさらされていました。
京都周辺では松永久秀や石山本願寺も挙兵しており、比叡山まで敵側につけば軍事的な危険はさらに増すおそれがあったのです。
比叡山は京都と近江の境界にある八百数十メートルの山で、古くから京都を守る戦略上の要地でした。延暦寺が敵軍に利用されれば、信長にとっては宗教問題を超えた軍事上の問題になります。
そこで信長は焼き打ちの前に延暦寺へ手紙を送り、浅井・朝倉軍に比叡山を利用させないよう求めました。しかし延暦寺は要求を受け入れませんでした。
その結果、信長は延暦寺を敵勢力と判断し、攻撃へ踏み切ります。焼き打ちの背景には、少なくとも宗教弾圧ではなく軍事上の判断もあったと見ることができるでしょう。
ちなみに、この延暦寺の焼き討ちもその残虐さが強調されて後世に伝わっていますが、実際にはそれほどでもなかったという説もあります。
