【豊臣兄弟!】史実でお市・勝家・三姉妹の別れはどのように伝わった?秘められた母娘の覚悟と北ノ庄城の真実
「秀吉の首をとってみせまする!」
と、詰め寄る娘・茶々(井上和)の真剣さと激しさに、ふと、笑みを漏らした母・お市(宮﨑あおい)でした。
勝家 VS 秀吉の激突が鮮明になったNHK大河「豊臣兄弟!」第32話『賤ケ岳の決闘』では、いずれ訪れる命がけの決戦の予感に覚悟を決めた母と娘の会話が描かれました。
勝家とお市が最期を迎える『北ノ庄城の戦い』天正11年(1583年)4月までは残りわずか。
浅井長政(中島歩)の最期のとき共に逝くと決めたお市でしたが、幼い娘たちを「そなたのようなよき姫に育ててくれ」と託され死ぬことは叶いませんでした。
今回は、再婚した柴田勝家(山口馬木也)と最期を共にすると決めたお市。
「母は今、生まれて初めて己が選んだ道を歩んでいる……そなたにも、こういう日が来ることを望んでいる」と娘に伝えたました。
まるで、茶々の将来を暗示するよう。
第32話、母が娘へ真の思いを託す場面と、史実ではお市・勝家・三姉妹の別れはどのように伝わってきたのかを探ってみました。
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長政と共に死ねぬことが「悔しかった」お市
出陣の際「佐々(成政)を残しておく。いざという時は頼れ」という勝家に向かって「お断りします。このたびは共に死ぬ覚悟です」ときっぱりと伝えたお市。
なんの迷いも恐れも感じられません。以前、小一郎に「私を殺してみよ。織田を滅ぼすとはそういうことじゃ」と、決別を告げたときの毅然とした表情と同じです。
お市は、「長政と最期を共にできなかった」という思いをずっと胸のうちに抱えていたのでは……と想像したくなるような記述が江戸時代にまとめられた覚書の写本『渓心院文』にあります。
「御いちさま仰せには、あざい殿時分出させられさえ御くやしく候に」
『渓心院文』は、お市の次女・初が晩年常光院と号した時代、本人ではなく初を世話をした尼僧の渓心院が書き残したものです。
現代語に意訳すると「お市様は小谷城落城のときに、夫・浅井長政と共に死ぬことができずに生きて城を出たことが『悔しい』といっていた」という意味でしょうか。
伝聞に基づく後世の覚書ではありますが、「御くやしく候に」に秘めたたる思いを感じます。
ドラマの第17回『小谷城落城』、「いつまでも、あなた様をお慕いしています」と、長政の介錯をしたお市。
もう、二度と自分だけ生き残る道は選びたくなかったでしょう。
ましてや、兄・信長(小栗旬)に変わり天下人になろうと企むサルに「自分の庇護」を求めることなどありえなかったのではないでしょうか。



