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『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡

『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡

実は百万石大名

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目されている豊臣秀長は、兄と同様に農村の家に生まれたとされています。

そんな彼は、のちに豊臣家の中で最上位の家臣へと進みました。……と、ここまでは比較的よく知られた事柄ですが、実は彼が徳川家康と同じ階層に並ぶほどの評価を受ける存在だったことをご存じの方は少ないはずです。

秀長が支配したのは紀伊、和泉、大和の広域で、総石高は、なんと百万石に達していました。

当時この規模に到達した大名はごく少数で、秀長が特別な位置づけにあったことが分かります。今回はその経緯について見ていきましょう。

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豊臣政権が形を整えるにつれ、秀長の立場はさらに強まっていきました。

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れたことは政権の転換点となり、秀吉は大坂城の建設を進めて全国支配への道を歩み始めます。

天正十二年の小牧・長久手では信雄と家康の連合軍と和解し、秀吉は従三位権大納言に叙任されます。翌年には従一位関白となり、天皇に次ぐ政治的な最高位へと進みました。

この間に秀長は紀伊と和泉を与えられ、そこへ大和と伊賀の一部も加えられます。天正十三年閏八月には石高が百万石へ到達し、彼は名実ともに日本の有力大名の一角を占める存在となったのです。

2ページ目 聚楽第で示された順位

 

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