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『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡

『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡:3ページ目

忘れられた名将

豊臣秀吉は、全国統一を果たした後は国を秀長へ譲る意向を示しており、自分自身は朝鮮や明国への進出を目論んでいたとされています。朝鮮出兵の予兆はこの時すでにあったのでしょう。

秀吉の壮大な野望のことはともかく、彼がそのように考えていたのは、秀長が政権運営を任せられるほどの力量を持っていたからに他なりません。

しかし、現代では秀長の知名度は高くありません。重要人物であるにもかかわらず、彼が忘れられていることは不思議ですね。

おそらく、派手な軍功よりも政務に長けていたため、史料上の印象が薄くなってしまったのでしょう。しかし専門家の間では、昔から豊臣秀長という人物の名将ぶりは認識されていました。

豊臣秀長は日本史でも屈指の大名であり、豊臣政権の屋台骨を支えた人物だったのです。

ドラマ化しないと注目されないというのは国民性としてちょっと悔しいところですが、きっかけは何であれ、忘れられた名将を再評価することは歴史の奥行きを知る上でも重要な作業でしょう。

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参考資料:中野明『図解 豊臣秀長「No2」の仕事術: カリスマ秀吉の「右腕」に学ぶ超一流の戦略展開スキル』Gakken、2025年
画像:Wikipedia,PhotoAC

 

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