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【豊臣兄弟!】秀吉と「義兄弟の契り」を結んだ中川清秀、賤ヶ岳の戦いでの壮絶な最期…

【豊臣兄弟!】秀吉と「義兄弟の契り」を結んだ中川清秀、賤ヶ岳の戦いでの壮絶な最期…

天正11年(1583年)4月20日、大岩山砦が佐久間盛政(遠藤雄弥)の襲撃を受け、守備していた中川清秀(すがおゆうじ)が討死してしまいました。

その死は大垣城に滞陣していた羽柴秀吉(池松壮亮)の決断を促し、空前絶後の美濃大返しを敢行させることになります。

言わば賤ヶ岳の戦いにおける大きな転機をもたらした中川清秀とは、どんな人物だったのでしょうか。

今回はその生涯をたどり、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考にしてもらえたらと思います。

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摂津茨木城の城主に

中川清秀は天文11年(1542年)、中川重清(しげきよ)と中川清村女(きよむら娘)の長男として誕生しました。

幼名は虎之助(とらのすけ)、弟には中川重継(しげつぐ)・中川重良(しげよし)・中川新兵衛、妹には仙(せん。古田重然室)がいます。

元服して通称を瀬兵衛(せひょうゑ)と名乗り、はじめは摂津国人の池田勝正(いけだ かつまさ)に仕えました。

永禄11年(1568年)に織田信長(小栗旬)が上洛するとこれに従い、元亀元年(1569年)に三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・石成友通)らが足利義昭(尾上右近)を襲撃した本圀寺の変では、明智光秀(要潤)と共に奮闘して戦果を上げています。

やがて主君の池田勝正が弟の池田知正(ともまさ)に追放されると、一時織田家と敵対関係となりました。

元亀2年(1571年)には同僚の荒木村重(トータス松本)と連合で和田惟政(玉置孝匡)を敗死に追い込み、清秀は攻め落とした茨木城(大坂府茨木市)の城主となります。

2ページ目 賤ヶ岳で壮絶な最期

 

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