【豊臣兄弟!】秀吉と「義兄弟の契り」を結んだ中川清秀、賤ヶ岳の戦いでの壮絶な最期…:3ページ目
中川清秀・基本データ
- 生没:天文11年(1542年)生~天正11年(1583年)4月20日没
- 出身:摂津国福井村中河原(大阪府茨木市)
- 出自:清和源氏(頼光流)
- 幼名:虎之助
- 通称:瀬兵衛
- 両親:中川重清/中川清村女
- 兄弟:中川重継・中川重良・中川新兵衛・お仙(古田重然室)
- 妻妾:熊田宗白女(正室)
- 子女:中川秀政・中川秀成・糸姫(池田輝政室)
- 主君:池田勝正→池田知正→荒木村重→織田信長→羽柴秀吉
- 居城:茨木城
- 墓所:梅林寺(大阪府茨木市)、大岩山砦跡(滋賀県長浜市)
- 戒名:行誉荘岳浄光院
終わりに
今回は賤ヶ岳の戦いで討死した中川清秀の生涯をたどってきました。
清秀の討死後、家督は嫡男の中川秀政(ひでまさ)が継ぎますが、後に文禄の役(第一次朝鮮征伐)で命を落としてしまいます。
秀政の死因は「現地で鷹狩りに興じていたところ、敵の襲撃を受けた」という不名誉なもので、本来こういう場合は改易(所領全没収)が決まりでした。
しかし秀吉は「亡き清秀に免じて、家督相続を認める」とし、次男の中川秀成(ひでなり)が所領の半分を受け継いだということです。
秀吉はよほど清秀を大切に思い、命を捨てた武勲を忘れていなかったのでしょうね。
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※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第2輯』国立国会図書館デジタルコレクション
- 竹田市教育委員会 編『中川氏御年譜』竹田市,、2007年3月

