手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【豊臣兄弟!】三法師には弟が!キリシタンとなり豊臣家滅亡を見届けた織田信忠の次男・織田秀則の生涯

【豊臣兄弟!】三法師には弟が!キリシタンとなり豊臣家滅亡を見届けた織田信忠の次男・織田秀則の生涯

本能寺の変で落命した織田信忠(小関裕太)の嫡男として生まれ、羽柴秀吉(池松壮亮)に担ぎ上げられた三法師(織田秀信)。その後も秀吉の野望に翻弄され続けた三法師には異母弟がいました。

今回はそんな織田秀則(おだ ひでのり)を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

※関連記事:

【豊臣兄弟!】秀吉vs勝家「賤ヶ岳の戦い」お市を自刃に追い込んだ1年におよぶ調略合戦の全貌

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第31回『これで、お別れにございます』で描かれたように、羽柴秀吉(池松壮亮)の野望を阻止するため、お市(宮崎あおい)は柴田勝家(山口馬木也)と結婚し、諸大名と連携します。…

『豊臣兄弟!』三法師の誘拐は史実?秀吉の“暴挙”、お市&勝家再婚の真意…第30回放送の真相考察

やるべきことや生き甲斐を見つけられると、人は悲しみを乗り越えられる。それが今回のテーマだったように感じました。与一郎(大西利空)を亡くした悲しみを乗り越えるために女性たちは小袖を作り、信長(小…

秀吉に仕える

織田秀則は天正9年(1581年)に信忠の次男として誕生しました。幼名は吉丸(きちまる)、生母については詳しくわかっていません。

※吉丸の吉は祖父・信長の幼名「吉法師」からもらったのではないでしょうか。

本能寺の変が起こった天正10年(1582年)時点でまだ2歳の幼児ですから、恐らく異母兄の三法師とともに保護されていたのでしょう。

やがて元服して通称を左衛門尉(さえもんのじょう)と名乗りました。諱は秀則のほか織田秀利(ひでとし)とする史料もあります。

後に従四位下(じゅしいのげ)・侍従(じじゅう)に叙せられ、そのため御吉侍従ともあだ名されていたそうです。

ちなみに織田家とゆかりの深い津田家を継いで津田忠信(つだ ただのぶ)と称した説もありますが、全くの別人説もあって定かではありません。

ともあれ秀吉に仕えて大坂(大阪府大阪市)に住み、秀吉の計らいで羽柴秀勝(秀吉の姉ともの次男で養子。小吉秀勝)の娘を妻に迎えます。

秀吉としては、織田家の男児を他家に担がれないよう、抱え込んでおきたかったのでしょう。

秀則と彼女の間には一人娘(小笠原因幡守側室)が生まれています。

2ページ目 洗礼名は「パウロ」。秀則はキリシタンに

 

RELATED 関連する記事