【豊臣兄弟!】「裏切り者」と描かれ…物議を醸した中川清秀の遺志を継いだ息子・中川秀政の出世と不覚の最期
大河ドラマ「豊臣兄弟!」、百姓の小倅から天下人へ成り上がった羽柴秀吉(池松壮亮)の栄光は、多くの家臣たちが支えてこそ実現できたものでした。
今回は秀吉に仕えた家臣の一人・中川秀政(なかがわ ひでまさ/大友至恩)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
※関連記事:
【豊臣兄弟!】史実でお市・勝家・三姉妹の別れはどのように伝わった?秘められた母娘の覚悟と北ノ庄城の真実
『豊臣兄弟!』お市と柴田勝家、自刃しての最期と「辞世の句」…運命を共にした2人の悲劇
少年時代から信長に仕える
中川秀政は永禄11年(1568年)、中川清秀(すがおゆうじ)と熊田宗白女(くまだ そうはく娘)の間に誕生しました。
実弟に中川秀成(ひでなり)ほか、実姉(池田輝政室)や実妹(森忠政室)そして異母妹たち(家臣寺井元定妻・家臣中川正次妻)がいました。
元服後の通称は藤兵衛(とうべゑ)、後に右衛門大夫・従五位下と叙せられます。
はじめは父と同じく織田信長(小栗旬)に仕え、天正6年(1578年)に信長の娘である鶴姫(つるひめ。生母不詳)を妻に迎えます。きっと信長から、将来を嘱望されていたのでしょう。
鶴姫は当時12歳(永禄10・1567年生)で秀政より1歳年長、まだあどけない同士のおままごとみたいな夫婦でした。結局二人の間に子供はできず、鶴姫は程なく先立ってしまったそうです(没年は不詳)。
『寛政重脩諸家譜』によると、別の女性と一人娘(家臣中川重直妻)をもうけたようです。
本能寺の後は秀吉に仕える
やがて天正10年(1582年)に本能寺の変で信長が世を去ると、そのまま秀吉に仕えました。
天正11年(1583年)に賤ヶ岳の合戦で父が佐久間盛政(遠藤雄弥)に討たれると、16歳で家督を継いで摂津国茨木(大坂府茨木市)5万石の領主となります。
【豊臣兄弟!】利家はなぜ勝家を裏切った?中川清秀の描かれ方に疑問…史実をもとに第32回放送の考察
続く天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦(対 徳川家康)や天正13年(1585年)の四国征伐(対 長宗我部元親)で武功を立てたため、播磨国三木(兵庫県三木市)13万石に栄転しました。
その後も天正15年(1587年)の九州征伐(対 島津義久)や天正18年(1590年)の小田原征伐(対 北条氏政・氏直)に従軍し、ついに秀吉の天下一統を見届けることになります。




