【豊臣兄弟!】史実でお市・勝家・三姉妹の別れはどのように伝わった?秘められた母娘の覚悟と北ノ庄城の真実:4ページ目
三姉妹はどう脱出したのか
お市は、勝家とともに自害を選び、茶々・初・江は「浅井と織田の血を残すため」に逃したというのが通説のようです。
お市は秀吉に直筆の書状を添えて、三姉妹の庇護を懇願したと伝わります。
そして、三姉妹を護衛して秀吉の陣所へ送り届けたとされる人物は二人挙げられているようです。
一人は、勝家の家臣・富永新六郎で、もうひとりは、中村聞荷斎(文荷斎)。
ただし、中村聞荷斎は勝家とともに自害した人物で、秀吉のもとに送り届ける時間はなかったのでは……ともいわれています。
いずれにせよ、三姉妹は秀吉側に引き渡されて保護を受けたのですが、具体的な脱出ルートややりとりなどは、一次史料とされるものにも乏しく、詳細は不明のようです。
茶々は、当時14〜16歳くらい。次女の初は13〜14歳くらい、末っ子の江は10〜11歳くらいと推測されています。
ドラマで、お市はどのように娘たちに別れを告げるのでしょうか。予告では「強くしなやかに生きるのじゃぞ」というお市の声が。
長政が最期のときにお市に伝えたよう、茶々には「そなたは生きて、妹たちを守れ」と伝えるのでしょうか。
賤岳合戦記の「北ノ庄城の最期」
天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた柴田勝家は越前・北ノ庄城(現在の福井市)に退却。
秀吉軍に包囲され、23日夜から24日にかけて、妻・お市の方をはじめ一族・家臣とともに自害して果てました。
『賤岳合戦記』の中の「勝家切腹之事」にはその夜のことが長文で描かれています。
最期の夜の部分を一部、現代語に意訳すると、
夜になると城の中では酒宴が始まり、勝家が事「あの藤吉郎め、猿のようにずる賢い奴のために、このような結果になってしまったのは無念の次第だ。もうあれこれ言っても仕方がない。所詮、酒を飲んで、明日はこの浮き世の暇をあけ、ほのぼのとした雲のように消えよう」
無念ながらも、皆を慰労し最期のときは潔く消えようという勝家の心中が伝わってくるようです。
その後、お市は勝家に逃げよといわれるも断り、三姉妹を逃すように中村聞荷斎に頼みます。そして夜半に天守にあがり二人で辞世の句を詠んだあと、家臣たちが、天守の下に込草(燃えやすい草)を積み置き静かに火をかけた……という場面が描かれています。
三姉妹を場外に逃して天守に火を付けて勝家とお市を見送った中村聞荷斎も自害。
「契りあれば すずしき道に ともないて 後の世までも 事へ仕えん」
という辞世の句を残しています。
意訳:主従の契りがある以上、涼しい道(死出の道)に一緒に付き添って、後の世までもお仕えし続けましょう
勝家へのまっすぐな忠義心が伝わってくる句です。
最後に……
史実では、お市は三姉妹に何を語ったのか、最期にお市と勝家はどのような思いを話し合ったのかなどは、明確ではないよう。
けれども、さまざまな二次史料などをみると浮かび上がってくる母と娘の別れや、短い間ではあったものの最期を共にした夫と妻の思いなどは、しみじみ伝わってくるものがありますよね。
「豊臣兄弟!」第33話『北庄城の別れ』では、第2話『願いの鐘』からずっと登場していたお市ともお別れになります。
あの時は、退屈凌ぎに(というか戰にでる兄の身を案じる不安な心を慰めるため)藤吉郎(池松壮亮)に創作話をさせていたお市。
思えば、遠くに来たなと思いますが、最期を見守りたいですね。
※関連記事:
【豊臣兄弟!】「裏切り者」と描かれ…物議を醸した中川清秀の遺志を継いだ息子・中川秀政の出世と不覚の最期
『豊臣兄弟!』お市と柴田勝家、自刃しての最期と「辞世の句」…運命を共にした2人の悲劇
参考:
『賤岳合戦記』
お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像(朝日新書))黒田 基樹



