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【豊臣兄弟!】秀吉の卑劣な罠で織田信雄に粛清され…悲劇の忠臣・津川雄光のあまりに無念な最期

【豊臣兄弟!】秀吉の卑劣な罠で織田信雄に粛清され…悲劇の忠臣・津川雄光のあまりに無念な最期

大河ドラマ「豊臣兄弟!」、いよいよ天下獲りの野心に目覚めた羽柴秀吉(池松壮亮)と、それを補佐する小一郎(仲野太賀)の活躍に、視聴者の注目が集まっています。

劇中では多くの武将が登場しますが、今回はその一人である津川雄光(つがわ かつみつ/早瀬栄之丞)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

織田信長・信雄の二代に忠義を尽くした名臣

津川雄光は生年不詳、尾張守護職を務めた斯波義統(しば よしむね)の次男として誕生しました。

天文23年(1554年)に父が自害に追い込まれると、織田信長の保護を求め、そのまま家臣になったそうです。

元服して分家である津川氏を継ぎ、諱を義永(よしなが)、後に近治(ちかはる)そして義冬(よしふゆ)と改めました。通称は玄蕃允(げんばのじょう)または源三郎(げんざぶろう)と呼ばれています。

器量ある人物として信長に評価され、織田信雄(山脇辰哉)の家老につけられました。後に信雄から「雄」の一字を賜わり、津川雄光と改名しています。

妻は伊勢守護職を務めた北畠具教(きたばたけ とものり)の娘で、彼女は信雄の妻と姉妹であったことから、信雄と義兄弟になりました。

『勢州軍記』によると、天正4年(1576年)11月25日に同僚の土方雄久(ひじかた かつひさ)や日置大膳亮(ひおき だいぜんのすけ)らと共に伊勢田丸城(三重県玉城町)を襲撃。北畠一族を討ち取る武功を立てます(三瀬の変)。

また天正10年(1582年)1月には津田宗及(マギー)に招かれて茶会に出席し、同年6月に本能寺の変が起きると、信雄の不在を守るため本拠地である松ヶ島城(三重県松阪市)を預けられました。

2ページ目 秀吉が流した噂を真に受けた“信雄”に粛清され…

 

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