【豊臣兄弟!】秀吉の卑劣な罠で織田信雄に粛清され…悲劇の忠臣・津川雄光のあまりに無念な最期:2ページ目
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秀吉の謀略で粛清
居城を預けられるほど深く信雄に信頼されていた雄光ですが、やがて信雄と秀吉の関係が険悪になると、上京が暗転してしまいます。
信雄家臣団の切り崩しを図った秀吉は、雄光・岡田重孝(おかだ しげたか)・浅井長時(あざい ながとき。尾張浅井氏)らが「羽柴陣営と内通している」という噂を流しました。
寝返るよう調略を仕掛けたものの、3人とも頑として忠義を貫いたため、ならば殺させてしまえと思ったのでしょうね。まさに「啼かぬ(なびかぬ)なら 殺させてしまえ ホトトギス」と言ったところでしょうか。
古来「噂を信じちゃいけないよ」とはよく言ったものですが、秀吉の流した噂をすっかり真に受けた信雄は、土方雄久に命じて3人とも粛清してしまったのです。時に天正12年(1584年)3月6日。
優秀で忠実な補佐役を失った信雄など恐るるに足りぬとばかり、秀吉は信雄に宣戦布告。これが小牧・長久手の合戦につながるのでした。
津川雄光・基本データ
- 生没:生年不詳~天正12年(1584年)3月6日没
- 改名:津川義永→津川近治→津川義冬→津川雄光
- 通称:玄蕃允・源三郎
- 官位:従五位下(『武衛系図』)
- 主君:織田信長→織田信雄
- 両親:斯波義統/生母不詳
- 兄弟:斯波義銀、自分
- 妻妾:北畠具教女
- 子女:不詳
- 死因:暗殺(流言飛語を信じた信雄による粛清)
終わりに
今回は織田信長・信雄の二代に忠義を尽くした津川雄光の生涯をたどってきました。まんまと謀略にはまった信雄の手で暗殺されてしまった無念は、いかばかりでしょうか。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、どんな活躍を魅せてくれるのか、早瀬栄之丞の好演を楽しみにしています。
※参考文献:
- 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣出版、1999年9月
- 小和田哲男ら編『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年11月
- 木下聡 編『管領斯波氏 シリーズ・室町幕府の研究 第一巻』戒光祥出版、2015年2月
- 谷口克広ら監修『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年11月
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