『豊臣兄弟!』与一郎の退場は近い?信長の首級はどこへ?信澄の謀反は本当?7つの史実で第28回を読み解く
炎上する本能寺を茫然と見届けた小一郎(仲野太賀)は、遊女屋に潜伏しながら各勢力へ根回しの書状を送り、明智光秀(要潤)の野望を阻止すべく策を巡らせていました。
そのころ信長(小栗旬)の死を認めたくない秀吉(池松壮亮)は取り乱したものの、和睦をとりまとめて前線から一路京都へ引き返します。
しかし途中で馬が一歩も動かなくなり、最早これまでかと思ったら、以前に小一郎がばらまいた金銀のお陰で「中国大返し」を達成できました。
いっぽう光秀は安土城を占領するも、キーパーソンであった細川藤孝(亀田佳明)の出家によって目算が狂ってしまいます。
斎藤利三(内藤剛志)の進言通りに本拠地の坂本城で態勢を整えるか、それとも京都で迫りくる秀吉との決戦に臨むか……光秀は後者を決断したのでした。
それでは第28回放送「急げ!秀吉」今週も気になるトピックを振り返って参りましょう。
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信長の首級はどこへ行った?
劇中の通り、本能寺の焼け跡をいくら捜索しても、信長の遺体は発見されなかったそうです。
そのため巷には信長の生存説がささやかれ、もし信長が生きていた場合のリスクを考えると、周辺勢力もうっかり光秀には与し得なかったことでしょう。
信長は薩摩(鹿児島県)まで逃げたとか、あるいは「面白き世」を夢見て南蛮(ヨーロッパ方面)へと旅立ったとか、そんなロマンあふれる俗説が出回っています。
が、実際のところは遺体の焼損が激しく、本人と識別できなかったのでしょう。
現代でも焼死体の身元が判別できないことはよくありますし、DNA鑑定など出来ない時代ですから、信長の首級は本能寺ですっかり焼けてしまったものと考えられます。
家康の伊賀越えスタート!
本能寺の悲報に接した徳川家康(松下洸平)は、旅行先の堺から一路岡崎を目指しました。
劇中ではあえて「伊賀じゃ」と口外して津田宗及(マギー)を欺き、タヌキ親爺ぶりを発揮しています。
家康一行による堺から三河岡崎までの道のりを「伊賀越え(神君伊賀越え)」と言いますが、実際にはほとんど伊賀を通っていません。
当時の伊賀は織田家に抑圧された状態で、信長の死を知るや否や一揆を起こし、無政府状態にあったようです。
果たして6月2日から6月4~5日まで、死線をさまよった逃避行は本編で描かれるのでしょうか。
2ページ目 織田信澄は本当に謀叛を起こしたのか?与一郎に死亡フラグ



