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『豊臣兄弟!』与一郎の退場は近い?信長の首級はどこへ?信澄の謀反は本当?7つの史実で第28回を読み解く

『豊臣兄弟!』与一郎の退場は近い?信長の首級はどこへ?信澄の謀反は本当?7つの史実で第28回を読み解く:3ページ目

なぜ秀吉が主導権を握れた?

尼崎城で秀吉と合流した小一郎ですが、他にも織田信孝・丹羽長秀・池田恒興(堀井新太)・高山右近(市川知宏)・中川清秀(すがおゆうじ)らが集結しています。

総勢4万もの大軍となったのですが、総大将こそ信孝が務めたものの、主導権は秀吉が握っていました。

それもそのはず。彼らの中で秀吉が最も多くの軍勢を率いていたからです。

  • 羽柴秀吉 20,000
  • 池田恒興 5,000
  • 織田信孝 4,000
  • 丹羽長秀 3,000
  • 中川清秀 2,500
  • 高山右近 2,000

※兵力順。実際にはそれぞれもう少しいたそうですが、本能寺の混乱でかなりの数が逃げ散ってしまったそうです。

何なら全員束になっても秀吉とようやく互角という状況でした。もし秀吉が光秀に寝返りでもしたら、たちまち滅ぼされてしまうでしょう。

敵を制するには、まずは味方から制さねばなりません。こうした周到な用意も、秀吉の高い政治力を物語っています。

実際の小一郎はどこにいた?

本作では炎上する本能寺を呆然と見届け、さらに光秀からの追手を逃れて遊女屋に潜伏し、明智討伐の策略を巡らせるという斬新な展開が描かれました。

が、ちなみに実際の小一郎は、本能寺の変当時どこで何をしていたのでしょうか。

本編終了後の大河紀行でタネ明かし?がされており、実際の小一郎は鼓山に陣を構えて、備中高松城攻めに参戦していました。

信長を迎えるために道中で金銀をばらまいたお陰で「中国大返し」が成功した、というのは本作のフィクションであることを、念のため記しておきます。

もし小一郎が(中国方面進撃のためでなく)中国大返しを目的として周到な根回しを行っていたという史料などございましたら、ぜひご教示ください。

4ページ目 一世一代の大勝負だった「中国大返し」!

 

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