『豊臣兄弟!』秀吉に溺愛されながら最後は家族と生き別れ…養女・豪姫の悲劇の生涯:4ページ目
関ヶ原の敗北で引き裂かれた豪姫と秀家
秀吉の晩年、秀家は徳川家康(松下洸平 )や前田利家と並ぶ五大老に就任します。
しかし、豪姫と秀家に決別の時が訪れました。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで秀家は西軍の副大将として1万7千の主力部隊を率いて参戦します。この決戦で、福島正則(松崎優輝)勢と激戦を繰り広げたものの、同じ豊臣一門の小早川秀秋の裏切りによって、宇喜多勢は壊滅してしまいました。
秀家はなんとか戦場を離脱して逃亡し、薩摩の島津家に匿われます。しかし、薩摩潜伏が露呈すると、1602年(慶長7年)、秀家は豪姫との二人の男子である秀高・秀継とともに、八丈島へ流罪となりました。秀家はその後、八丈島で長い歳月を生き、1655年(明暦元年)に83歳で生涯を閉じています。
一方、豪姫は宇喜多家改易後、出家して高台院となっていた北政所に仕えていました。その後、1607年(慶長12年)にキリシタンの洗礼を受け、金沢へ帰ります。
西軍の副大将であった秀家が助命されたのは、一説には、豪姫の実家である前田家当主・前田利長(利家嫡男)、さらには豪姫の母・まつによる懸命な助命嘆願があったためともいわれています。
しかし豪姫は秀家および二人の息子と、ついに再会を果たすことはありませんでした。彼女は1634年(寛永11年)5月、61歳で生涯を閉じます。
その墓所は、金沢・野田山墓地にある前田家墓所のほか、前田家の菩提寺である大蓮寺、高野山奥之院にある豊臣家墓所にもひっそりと建っています。
秀吉にもっとも愛された養女・豪姫。天下人の養女として華やかな人生を歩みながらも、最後には戦乱によって愛する夫と息子たちと引き裂かれてしまいます。
その生涯は、安土桃山時代の栄華と悲劇を、同時に物語っているのではないでしょうか。
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