『豊臣兄弟!』秀吉に溺愛されながら最後は家族と生き別れ…養女・豪姫の悲劇の生涯:3ページ目
幼馴染だった宇喜多秀家との結婚
1588年(天正16年)、豪姫は15歳で岡山城主の宇喜多秀家に嫁ぎます。
秀家は、備前に覇を唱えた宇喜多直家(緋田康人)の嫡男です。直家は中国方面の司令官であった秀吉とも深い関係にありました。
直家は1582年(天正10年)頃に病死したとされ、秀家はそれからまもなく秀吉の猶子に迎えられ、寧々のもとで豪姫とともに養育されました。つまり、豪姫と秀家は幼馴染の関係だったのです。
二人の結婚は、天下人・豊臣秀吉の肝いりによる政略結婚でした。しかし同時に幼い頃からともに育った二人の結婚でもあり、そこに彼らに対しての秀吉と北政所の思いが感じられるです。
豪姫と秀家の夫婦仲はよかったと思われ、秀家が側室を置いたことを示す確かな記録もありません。二人の間には、男子の秀高・秀継、女子の理松院・冨利の二男二女が生まれました。
しかし、豪姫は出産のたびに体調を崩したといわれています。心配した秀吉がその原因を探らせたところ、「狐が憑いている」と言われました。
これを聞いた秀吉は伏見稲荷に対して「豪姫から出て行かないのなら、日本中の狐を皆殺しにする」という趣旨の手紙を書き送ったと伝えられています。
それほどまでに、秀吉の豪姫に対する愛情は深かったのです。秀吉はその後も豪姫を「五もじ」と呼び、かわいがったと伝わります。

