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賭け事しない奴は野暮?なぜ江戸時代は大奥や子供までも”ギャンブルの虜”だったのか?【前編】

賭け事しない奴は野暮?なぜ江戸時代は大奥や子供までも”ギャンブルの虜”だったのか?【前編】

古代から存在したギャンブル

日本における賭け事・博打・賭博、いわゆる「ギャンブル」の歴史はとても古く、『日本書紀』にも記述があるほどです。

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貴族の世界では双六が流行し、実は風流な連歌も賭けの対象になったことがありました。

安土桃山時代には、土佐の長宗我部元親が賭博禁止令を出しており、これは裏を返せば社会秩序が乱れるほどギャンブルが流行していたということです。

武士の場合は、ギャンブルが原因のいざこざが刃傷沙汰に発展するおそれもあったことから、禁止令を出す大名家は少なくありませんでした。

中には、賭けの原因になるとして将棋や囲碁を廃止した事例まであるほどです。

将軍様は賭博がお嫌い

庶民の暮らしが安定して、社会秩序が保たれるようになった江戸時代はどうだったのでしょうか。

江戸幕府を開いた徳川家康は賭け事が嫌いだったのか、大名の決まりを定めた『武家諸法度』では「博打の禁止」が促されています。

そして、家康を信奉していた八代将軍・徳川吉宗も『公事方御定書』において、博打を行った者に対する厳しい処罰を定めています。

こうしたルールに寄って遠島や追放などの厳罰が科されることもありました。しかし、それでもやっぱり賭博の根絶には至らなかったようです。

2ページ目 江戸の賭博の定番

 

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