賭け事しない奴は野暮?なぜ江戸時代は大奥や子供までも”ギャンブルの虜”だったのか?【前編】:2ページ目
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江戸の賭博の定番
事実、江戸ではさまざまなギャンブルが人気を博していました。現在はギャンブルというと反社会的なイメージが強いですが、江戸時代は「賭け事の心得が無い者は野暮」だとみなされるほど、手軽な娯楽として親しまれていました。
子ども相手の貸し売りや、江戸城の大奥でも賭け事が行われたというから相当なものです。
江戸時代の賭博の定番といえば、時代劇でもお馴染みの、二つのサイコロを使った丁半博打でしょう。ツボ(ツボ皿)に入れたサイコロの目の合計数が偶数(丁)か奇数(半)かを予想する、きわめてシンプルな賭博です。
この賭博では、四隅に鋲を差して固定した盆台(盆茣蓙)は賭場の権威の象徴とされました。
盆台を囲んで、進行と審判を務める中盆と、そしてサイコロを振るツボ振りがいて、その周囲に客が座るという形で行われます。
賭け金は、胴元や資金を提供する者に支払う資金にも充てられました。この資金の名称がテラ銭で、この言葉は江戸時代には既に存在していたのです。
次回の【後編】では、江戸時代の賭博事情についてさらに掘り下げていきましょう。
【後編】の記事は以下から
江戸のギャンブル沼。賭博の蔓延が規格外すぎた江戸時代、奉行が出した驚きの結論【後編】
大名屋敷も賭場に【前編】では古代から江戸時代までの賭博事情について駆け足で説明しました。[insert_post id=253471]【後編】では、こうした状況の実情と、行政の対応…
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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