![【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編]](https://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2025/04/berabouimagemain-1280x720.jpg)
【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編]
瀬川(小芝風花)との別れ、平賀源内(安田顕)の死。主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)の前半生の山場ともいえる二大事件を経て、ドラマ『べらぼう』は新章に突入していきます。
今回は、『べらぼう』の展開について、史実を踏まえつつ今後の展望を考えてみました。
【前編】の記事↓
【大河べらぼう】新章突入!平賀源内が去った後、史実を基に次なる局面を考察〜田沼意次 全盛と蔦重の成長〜[前編]
【後編】では、松平定信(寺田心)が進めた「寛政の改革」による出版統制に対し、蔦屋重三郎がどのように立ち向かっていったのかをご紹介しましょう。
市民からの反発がさらなる厳しい風紀粛正に
1787年、松平定信は徳川御三家の推挙を受けて、第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座に就任します。
老中就任後、定信は田沼意次派の勢力を幕閣から排除し、寛政の改革を断行して幕政再建を目指した。
寛政の改革は、「綱紀粛正」「財政再建」「農村復興」を主要な柱としますが、この中で蔦重を悩ませたのが「綱紀粛正」であったのです。
定信が「綱紀粛正」を施政の重要な柱としたのは、田沼時代に賄賂をはじめとする金銭の腐敗が横行したこと、また天変地異による度重なる飢饉で農村にいられなくなった農民が江戸に大量に流入し、社会秩序が乱れた状況を是正するためでした。
定信は、対策として倹約を推進するとともに、風紀粛正を厳格に実施しました。町人の贅沢を抑えるだけでなく、銭湯での男女混浴の禁止や岡場所の統制など、風俗に対する取り締まりを徹底し、55か所の岡場所が取り潰しの憂き目にあったのです。
定信は、このような政策によって江戸の景気が悪化すると考えていました。それにより、江戸に集まった農民が仕事を得られなくなり、帰農者が増え、農村の復興が図れると目論んでいたようです。
この定信の予測は的中し、意次の時代とは対照的に、江戸は不景気に陥りました。
しかし、定信の意図に反して、農民たちの多くは荒廃した農村へ戻るよりも、なんとか仕事が得られる江戸に留まります。当然ながら、江戸市民からは強い反発が起こり、定信はこれを抑えるためにさらに厳しい風紀粛正を推し進めたのです。