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【大河べらぼう】新章突入!平賀源内が去った後、史実を基に次なる局面を考察〜田沼意次 全盛と蔦重の成長〜[前編]

【大河べらぼう】新章突入!平賀源内が去った後、史実を基に次なる局面を考察〜田沼意次 全盛と蔦重の成長〜[前編]

大河ドラマべらぼうの第16回「さらば源内 見立は蓬菜」。安田顕さんが演じた平賀源内の壮絶かつ悲しい最期は話題を呼び、未だ余韻を引きずる人も多いようです。

大河『べらぼう』煙草の罠、謎だらけの死、あの名セリフ…平賀源内(安田顕)の去りいく背中を惜しみつつ考察【前編】

とうとう迎えてしまった、安永8年(1779年)12月18日。52歳で獄死した平賀源内(安田顕)。叶わぬこととは思いつつ「もう少し待ってほしい」と望んだものの、4月20日(日)放送の大河ドラ…

人気の主要人物、瀬川(小芝風花)・鳥山検校(市原隼人)そして、平賀源内(安田顕)が大舞台を去り第一章が幕を閉じるとともに、前回は新しく第二章の幕開けを感じました。

前回では、“新刊の名前を書いた短冊”を下げた桜の木を設置した舞台に、蔦屋重三郎(横浜流星)が口上役で上がり、宣伝をしていました。この場面は、新刊の一つ『伊達模様見立蓬莱』の巻末の一場面だといわれています。そして、幕を開けているのは蔦重自身。

蔦重(そして瀬川)の“夢”である「耕書堂」の新しい幕開けです。

今回は新章を前に、史実を踏まえながら今後を【前編】【後編】の2回に分けて考察してみました。【前編】では、田沼意次(渡辺謙)の権力拡大とともに成長を遂げた蔦重が、その失脚により窮地に陥る理由を紐解いてみたいと思います。

田沼意次の権力拡大と蔦重の成長

新キャストも発表され、「いざ!日本橋へ」と新たな幕が開く「べらぼう」。

史実では、この後の1783年、蔦屋重三郎は吉原から、著名な版元が軒を並べる日本橋に進出し、貸本屋から江戸屈指の自本問屋へと成長を遂げていきます。

その成功の道のりは、老中・田沼意次の全盛期と重なっていました。

第8代将軍・徳川吉宗が行った享保の改革を引き継いだ意次は、幕府が経済の基本とした米中心の重農主義(農業を重視する政策)から、商業を中心とした重商主義(商業を振興する政策)へと大きく舵を切ったのです。

そんな意次の政治は経済を拡大することになり、田沼時代は、江戸260年を通じて特に顕著な好景気を迎えることとなりました。

重商主義を基盤とした意次の経済母体は、当然のことながら、町人階級である商人や職人たち。一部を除き、とかく保守的な武士階級と異なり、世の中には町人たちが中心となる自由な気風がみなぎり、それが蔦重の商いである出版業にも良い影響を及ぼしたのです。

しかし、蔦重にとって恵まれたこの時代も、わずか3年で幕を閉じます。

息子の暗殺・大噴火・大飢饉が重なる…

1784年、世子で若年寄の任にあった意次の嫡男・意知(宮沢氷魚)が江戸城内で暗殺されると、1786年には、浅間山大噴火が引き起こした天明の大飢饉(1783)への対応の失敗や、洪水による印旛沼開拓事業の挫折などが重なり、意次の権勢に暗雲が立ち込めます。

さらに、後ろ盾であった将軍・家治(眞島秀和)の死によって意次は失脚。ここに田沼時代は終焉を迎えたのでした。

2ページ目 松平定信が蔦重の後半生の障害に

 

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