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【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編]

【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編]:4ページ目

喜多川歌麿と東洲斎写楽の活躍

この事業で蔦重が抜擢したのが、無名時代から支えてきた喜多川歌麿(染谷将太)でした。歌麿が描いた大首絵は瞬く間に大ヒットし、歌麿は蔦重のもとでその才能を存分に開花させます。

大首絵とは、人物の上半身のみを描き、顔を大きくアップにすることで豊かな表情や現実感を表現した錦絵です。モデルに市井の看板娘を起用したことも、江戸っ子たちの購買意欲を大いに掻き立てました。

歌麿の大首絵が大成功を収めた後の1794年、蔦重はさらに大きな勝負に打って出ます。それが、東洲斎写楽による役者絵の出版でした。

写楽はわずか10カ月の間に140作もの役者絵を描き上げ、その全てを蔦重が出版しました。しかし、写楽の絵は当時あまり売れず、蔦重の挑戦は失敗に終わったのです。

その3年後の1797年、蔦重は脚気が原因で、48歳の生涯を閉じました。

蔦重が活躍した後半の10年間は、幕府の弾圧との戦いの日々でした。おそらく、彼の人生の中でも最も辛く、苦しい時期だったことでしょう。

それでもへこたれることなく、自らの綺羅星のごとき才能を武器に、光り輝く人材を発掘し、プロデュースすることで、江戸文化の発展に大きな功績を残した蔦屋重三郎。

そんな彼の後半生を、森下佳子氏がどのような脚本で描くのか、楽しみでなりません。きっと、笑いと涙に満ちた物語として、視聴者を大いに楽しませてくれることでしょう。

 

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