【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編]:2ページ目
出版統制により消された喜三二と春町
定信による寛政の改革は、出版界にも厳しい統制を課しました。本の内容はもとより、浮世絵のテーマや色使い、装丁に至るまで、さまざまな規制が設けられたのです。
こうした規制に対して、蔦重は抵抗の姿勢を示しました。寛政の改革を揶揄し、定信の政策を批判するような黄表紙を次々と世に送り出したのです。
1788年、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作、喜多川歌麿(染谷将太)挿絵による『文武二道万石通』が刊行されました。この作品は定信の文武奨励策を茶化した内容で、江戸市民から絶賛され、大ベストセラーとなります。

『文武二道万石通』(東京都立中央図書館所蔵) 出典: 国書データベース
翌年には、その後日譚にあたる恋川春町(岡山天音)作『鸚鵡返文武二道』も出版され、こちらも大ヒットを記録します。
しかし、蔦重によるこれらの動きは当然ながら幕府の怒りを買い、定信は両作品を発禁処分とするとともに、武士であり作家でもあった喜三二と春町に対しても強い圧力をかけました。
駿河小島藩士であった恋川春町は、隠居を命じられ、その3か月後に死去します。これは幕府から出頭を命じられた責任を取り、自害したとも伝えられています。
秋田藩の江戸留守居役だった朋誠堂喜三二も、藩主から叱責を受けたうえ、国元への配置転換を命じられました。喜三二は藩命により戯作を厳しく禁じられ、出版界から完全に姿を消すこととなったのです。
蔦重が出版した2冊の黄表紙は爆発的な売り上げを記録し、その心意気は世間の喝采を浴びました。しかし、その一方で、耕書堂の主力として活躍していた喜三二と春町という2人の作家を失う結果にもなってしまいました。
この2人を演じた尾美としのりさんと岡山天音さんは、『べらぼう』の中でもかけがえのない存在でした。小芝風花さん、安田顕さんに続き、2人の退場もまた「ロスに陥りそう」という声が上がりそうです。


