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強盗、殺傷、陵辱…江戸の町を震撼させた凶悪犯罪者 ~鬼平・長谷川平蔵 最後の事件~【後編】

強盗、殺傷、陵辱…江戸の町を震撼させた凶悪犯罪者 ~鬼平・長谷川平蔵 最後の事件~【後編】:3ページ目

長谷川平蔵最後の事件

長谷川平蔵は防火対策にも力を注ぎました。そんな彼の最後の事件も火災関連です。

寛政7年(1795)、下渋谷村の宝泉寺で火災が発生。平蔵がこの火災の捜査にあたりました。

やがて、この火災は宝泉寺の僧侶・竜光による放火であることが判明します。ところが竜光の精神は錯乱状態になっており、その行いは幼児にも劣っていました。

寺における放火事件を裁くのは評定所となります。平蔵の上申書を元に下された判決は、父親・源蔵や親戚一同に竜光の身柄を預けて押込め(禁錮)という軽いものでした。

その後間もなく平蔵は病に倒れました。8年間にわたって勤めた火盗改の職を5月16日に辞すると、わずか3日後に50歳で死去します。

『鬼平犯科帳』では体を壊す平蔵の姿がたびたび描かれていますが、長年の激務がたたったのは想像に難くありません。彼は骨身を削って、こうした凶悪犯罪者たちと戦っていたのです。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC
トップ画像: 「郵便報知新聞」 「第五百六十五号」 月岡芳年 画

 

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