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江戸時代、わずか50人で江戸の犯罪を取り締まった「火付盗賊改」はどんな組織構成だったのか?

江戸時代、わずか50人で江戸の犯罪を取り締まった「火付盗賊改」はどんな組織構成だったのか?:3ページ目

フォロー体制も意外ときちんとしていた

まだまだいます。病気や事故などで休んだ同心の事務を代行する浮役同心が2人いました。

ちゃんと休んだ人をフォローする体制もできているあたり、意外と現代の会社組織よりも危機管理体勢が整っていると言えるかも知れませんね。

『鬼平犯科帳』では、同心たちが宿直するシーンがたびたび描かれていますが、実際に書役同心4人、差紙使同心4人、頭付同心2人の100人が交代で宿直にあたりました。

火盗改の官舎ができたのは慶応元年(1865)のことで、役宅を使ったのは最後の長官である戸田与左衛門のみです。

それまでは自らの屋敷に、訴所やその控え所である内腰掛、犯罪者の吟味・裁定を行う白洲や仮牢、拷問道具を揃えた取り調べ施設などを設けていました。

こうした組織構成を、現代の警察組織と比較してみたら面白そうですね。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia

 

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