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織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【後編】

織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【後編】:2ページ目

研究者の説は

信長は朝廷のために内裏や御所の修復をしているくらいですから、自分用の宿泊施設を建てるくらいは簡単なことだったはずです。

そこで研究者の中にはこう考える人もいます。信長は、京を自分の政権の中心地に据える気はもともと無かったのではないか、と。

もともと京は平安時代からの公家政権の本拠地であり、やがては滅びる室町幕府のある場所です。

それよりも、全く別の土地にゼロから自らの根拠地を創るつもりだったのではないか、という見方ですね。

なるほど、過去には何もなかったまっさらな土地に、新たに城と城下町を創ってそこを日本の新しい首都にする気だった……と考える方が、信長らしい構想のように思えます。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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