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古代日本の「古墳」は誰が設計していたのか?倭国の土木技術を支えたプロフェッショナル集団「土師氏」の存在

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棺は誰が作った?

また、当時使われていたについても、特定の工人が建築に関わったと考えられています。

当時の棺の大半は木製ですが、古代には、木製のほか、焼物の陶棺と石棺がありました。

とくに、古墳時代には石棺が多く作られ、西日本を中心に一〇〇○個近くが発掘されています。

その石棺には、板石を組み合わせたものと、巨岩をくり抜いた刳抜式(くりぬきしき)がありました。そのうち、刳抜式の石棺の産地は讃岐地方だったと考えられています。

もともと、瀬戸内東部では銅鐸の鋳型が作られていたので、その技術が石棺作りに転用されたとみられています。その後、讃岐の工人が畿内へ移住。各地で産出される良質の石材を使い、盛んに石棺を生産するようになったのでしょう。

実際、『播磨国風土記』には、竜山(兵庫県高砂市)の工人は讃岐から移住してきたという記述が残っています。竜山の石は六世紀からよく使われるようになり、現在の兵庫県内だけで三〇〇個もの石棺が残っています。

その他の石棺材の産地としては、現在の大阪と奈良の境の二上山、香川県国分寺町、福井市の足羽山、島根県安来市、岡山県井原市などがありました。

こうした地域にも、讃岐の工人が移住し、その技術が代々受け継がれたのではないかとみられています。

古墳や棺など、死者を埋葬するための建築には、独自の技術を持つプロフェッショナルが関わっていたことが分かりますね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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