ライバルだった蔦屋重三郎(横浜流星)と西村屋与八(西村まさ彦)。二人の性格は対照的!?【大河ドラマべらぼう】
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」皆さんも楽しんでいますか?
吉原者の子として育ち、吉原遊廓を活性化するため、出版界へ乗り出そうとしている蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)。
これに対して、既得権益を奪われてなるものかと地本問屋仲間と企みを巡らせる西村屋与八(西村まさ彦)。
史実でも蔦屋重三郎とはライバル関係!版元・西村屋与八(西村まさ彦)とはどんな人物だったのか【大河べらぼう】
吉原細見『嗚呼御江戸』や画集『一目千本』の刊行を通して、出版人の資質に目覚め始めた蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう。横浜流星)。最初は手探りで事業を起こし、悪戦苦闘する中で様々な出会いや対立…
この蔦屋重三郎と西村屋与八は後までライバルとして出版界で鎬(しのぎ)を削ることとなりますが、両者の性格は実に対照的でした。
今回は蔦屋重三郎の性格や、西村屋与八との対比について紹介したいと思います。
親分肌だった蔦重
『戯作者小伝』の書中において、蔦屋重三郎はこのように評されていました。
……唐丸(からまる)は頗(すこぶる)侠気あり。故に文才ある者の若気に放蕩なるをも荷担して、又食客となして財を散ずるを厭(いと)はざれば、是がために身をたて名をなせし人々あり。蜀山老翁(しょくさんろうおう)うた麿(うたまろ)馬琴(ばきん)抔(など)其中也(そのなかなり)。又己(おのれ。ここでは蔦重)が名をあらはれたるも其人(そのひと)によりてなりとぞ……
※岩本佐七 編『燕石十種』中『戯作者小伝』より
【意訳】蔦屋重三郎(唐丸は歌号)はすこぶる侠気(きょうき、おとこぎ)に富んだ人物である。
ゆえに才能ある若者たちを引き受け、食客(しょっかく)として養うことをいとわなかった。
有名なところでは蜀山人(大田南畝)・喜多川歌麿・滝沢馬琴などが蔦重の世話になっている。
後に彼らは活躍することで、蔦重の成功に貢献したのであった。
……どうやら蔦重は親分肌の性格で、若い絵師や戯作者のパトロンとなって彼らを支援したようです。
そのお陰で多くの才能が世に送り出され、その恩恵が今日まで及んだのでした。
2ページ目 対して西村屋与八は?
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