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古代日本「磐井の乱」は反乱か?大和政権による捏造か?史料から浮かび上がる九州地方の豪族の新たな姿【前編】

古代日本「磐井の乱」は反乱か?大和政権による捏造か?史料から浮かび上がる九州地方の豪族の新たな姿【前編】

磐井は何者だったのか

古代日本の歴史には、大きな内乱がいくつか記録されています。例えば有名な壬申の乱は、天智天皇の死後、弟の大海人皇子が子の大友皇子に勝利した戦いです。

しかし、それより古い527年に起きた磐井の乱も見逃せません。これは、筑紫国造とされる磐井が大和政権に逆らった出来事です。

本稿ではこの、古代日本で発生した磐井の乱についてのミステリーを前編・後編に分けて説明します。

磐井は九州北部を治める地方豪族で、『日本書紀』では「筑紫国造磐井」と紹介されています。

彼が反乱を起こした背景には、朝鮮半島の情勢が絡んでいました。当時、日本と結んでいた任那が新羅に攻められ、継体天皇は任那の復興のために軍を送ろうとしました。

ところが、磐井がこれを阻止したのです。

『日本書紀』によると、新羅から賄賂を受け取った磐井は、火国や豊国の勢力を集めて大和の軍を妨害。海路まで封鎖してしまいました。

このような形で大和政権に盾突いたことから、磐井の行動は「乱」あるいは「反乱」として記録されることになったのです。

2ページ目 反乱の真相に迫る史料

 

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