ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】

高野晃彰

「松尾芭蕉(まつおばしょう)」といえば、俳句に詳しくないという人でも知っているほどの有名な江戸・元禄時代の俳人。

「俳聖」(俳句の神様とあがめられる人)と呼ばれるほどの、非常に才能のある優れた文化人です。

その芭蕉は若い弟子をこよなく愛した、江戸時代のボーイズラブ的男色家だったという話が伝わっています。

土豪一族出身だった芭蕉

日本近世文学の最盛期の一つともいわれる元禄時代(1688〜1704)に、俳人として大活躍した松尾芭蕉。

有名な俳句『閑さや岩にしみ入蝉の声』(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)は、小学校低学年の教科書でも紹介されているので、非常に馴染み遣いですよね。

松尾芭蕉は、寛永21年(1644年)、伊賀国阿拝郡(今の三重県伊賀市)柘植郷(つげのごう)の、土豪出身・松尾与左衛門の次男として生まれました。

※阿拝郡のうち、上野城下の赤坂町(今の伊賀市上野赤坂町)や上柘植村(今の伊賀市柘植町)で生まれたという説もあり

松尾家は「平家の流れをくむ」とわれていましたが、苗字・帯刀こそ許されていたものの身分は武士ではなく農民階級だったそうです。

2ページ目 2歳年上の主君であり文学青年だった人との出会い

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