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「桶狭間の戦い」に関するいくつかの誤解をただす!織田家と今川家の勢力はほとんど同じだった?

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そもそも奇襲ではなかった

信長が今川義元を奇襲で倒したという説にしても、実はすでに否定されています。

以前は、義元が休憩していると報告を受けた織田軍が今川本陣の背後に迂回し、豪雨に乗じて奇襲を仕掛けたとされていました。

ところがこの通説は、小瀬甫庵の『甫庵信長記』という、信憑性の低い史料に基づいています。

近年は、信長の元家臣・太田牛一が記した『信長公記』に基づき、織田軍は迂回せずに真正面から突撃し、今川軍が大混乱に陥るなかで義元を討ち取ったと考えられるようになっています。

信長が義元の不意を突けたのは、天候も影響していました。

この日、桶狭間には大木が倒れるほどの暴風雨が吹き荒れていました。織田軍は大雨を背に進軍した一方、今川軍は正面から降る大雨に視界を遮られていたようです。

織田軍としては、先行部隊に一撃を与えることを目的に進軍していたのですが、偶然にも今川本隊の不意を突くかたちになったのです。

2万5000といわれた今川の兵力も、砦の攻略のために分散されており、義元の周辺には5000人前後しかいなかったようです。

こうした偶然が重なった結果、織田軍は今川軍を打ち破ることができたのだというのが現在の通説です。

参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年

画像:photoAC,Wikipedia

 

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