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ヒーローなんかじゃない!?実は江戸や東北の庶民からはブーイングの嵐だった「明治新政府」の存在

ヒーローなんかじゃない!?実は江戸や東北の庶民からはブーイングの嵐だった「明治新政府」の存在:3ページ目

実は多くの血が流れた明治維新

江戸の庶民が旧幕派を応援したのは、新政府軍の横暴に嫌気が差していたからに他なりません。薩摩は幕府を挑発するために一般庶民を襲い、幕府寄りの商屋を焼き討ちするなどしていました。テロです。

江戸城が明け渡された後もこうしたテロは終わらず、庶民の間では不安が広がる一方でした。

江戸庶民の証言を集めた『戊辰物語』にも、新政府軍について「つまらない言いがかりでよく町人を斬った」「吉原ではひどく嫌われた」「薩摩藩邸は追い払われたのに強盗が未だ出没する」など、新政府軍の横暴を伝える証言が多く掲載されています。

この『戊辰物語』は昭和3年(1928)から始まった東京日日新聞の連載記事をまとめた本なので、証言が脚色されている可能性は否めません。

しかし、これらの記事からはインタビューを受けた人々の生々しい声が伝わってきますし、こうした非難記事がウケたのも事実です。人々は「さもありなん」と思いながら、こうした記事に目を通したのでしょう。

さらに、江戸の庶民よりもさらに強く、新政府に対して不満を抱いていた地域があります。戊辰戦争の舞台となって荒廃した東北地方です。

特に会津では、新政府の兵によって村々が略奪・放火され、婦女暴行も相次ぎました。現在でも、当地では薩長、特に鹿児島への反発心は根強く残っています。

小説やドラマなどの影響で、明治維新はカッコいいヒーローによる「善き改革」だったというイメージが根強いです。また「無血開城」などという言葉が使われているため、明治維新は流血沙汰のない、世界史でも稀に見る平和な革命だったと思っている人も多いでしょう。

しかし、実際にはかなり強引で無理やりなところもあり、たくさんの人々の血が流れたことを忘れてはいけません。実際、明治維新は薩長によるテロだったと論表する人も最近は出てきています。

明治新政府は、多くの庶民の憎悪と非難を浴びながらの船出となったのです。

参考資料:日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

 

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