ヒーローなんかじゃない!?実は江戸や東北の庶民からはブーイングの嵐だった「明治新政府」の存在:2ページ目
錦絵から浮かび上がるイメージ
幕末期の激動を経て、幕府は政治的には弱体化しました。しかし、江戸で暮らす大多数の庶民の中にあった幕府への信頼感は揺らいでいませんでした。
むしろ庶民は将軍家に親しみを抱いており、江戸の治安を脅かす薩摩や長州を煙たがっていました。
そうした事実は、当時非合法に発行されていた風刺絵から読み解くことができます。
江戸時代を通じて、庶民は政権を批判することを厳しく禁じられていました。このため、新政府ができてもこれを批判する手段を持っていませんでした。新聞のようなマスメディアも、当時はまだ生まれていなかったのです。
しかし、慶応4年(1868)の春頃から状況は変化します。風刺目的の錦絵が大流行したのです。
幕府は、印刷物については発行者を明記するよう義務づけらていましたが、その幕府がなくなったためか、発行元を記さない錦絵が大量に出回りました。
それらは、戊辰戦争を相撲に見立てたものや、旧幕派と薩長の対立を忠臣蔵で表したものや、くじ引き会場で会津が一等を取るように願うもの、会津が薩長を追い払う様子を描いたものなどだったのです。
こうした錦絵が庶民の間でウケて、江戸だけで30万部も売れたというから驚きです。