
- No.138「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り
- No.137「関ヶ原の戦い」で一番の功労者は…まさかのあの武将!?本多正信の答えがコチラ【どうする家康 外伝】
- No.136「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り

徳川家康の跡継ぎは次男?三男?それとも四男?戦なき世に相応しい後継者の資質【どうする家康】
次男の結城秀康?それとも四男の松平忠吉?
……正信は三河守殿こそ元よりの御長子といひ。智略武勇も兼備はり給へば。此殿こそまさしく監國にそなはらせ給ふべけれと申す。
直政は下野守忠吉卿然るべしといひてやまず。其外もまちまちにして一決せず。……※『東照宮御実紀附録』巻十一「家康議世子」
議論の口火を切ったのは本多正信。
「三河守殿は今生きている中で最も年長。知略と武勇を兼ね備え、徳川の家督を継ぐに不足ありますまい」
三河守とは家康の次男・結城秀康。かつて豊臣秀吉の養子に出され、後に結城晴朝の養子にたらい回しされていました。
すると、井伊直政がこれに反論します。
「いやいや、下野守殿こそ殿の跡継ぎに相応しかろうて」
下野守とは家康の四男・松平忠吉。関ヶ原の合戦では直政と共に最前線で活躍しました。
それを皮切りに、みんなあれこれ言いたい放題。誰がいいだの悪いだの、めいめい意見がまとまりません。
「こんな時、岡崎三郎様さえご健在ならば……」
平岩親吉が一人ぼやいたかどうか、かつて彼が傅役を務めた、亡き松平信康(家康の長男)を惜しんだことでしょう。
バックナンバー
- No.138「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り
- No.137「関ヶ原の戦い」で一番の功労者は…まさかのあの武将!?本多正信の答えがコチラ【どうする家康 外伝】
- No.136「どうする家康」関ヶ原は、まだ終わっておらぬ…第44回放送「徳川幕府誕生」振り返り
- No.135徳川家康の跡継ぎは次男?三男?それとも四男?戦なき世に相応しい後継者の資質【どうする家康】
- No.134「どうする家康」何が三成を変えてしまった?その最期にネット号泣…第43回放送「関ヶ原の戦い」振り返り