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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り

「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り:3ページ目

一、石川数正はなぜ秀吉に寝返ったのか?

……三河草創よりこのかた。大小の戦幾度といふ事をしらざれども。別に 当家の御軍法とて定れる事もなく。たゞそのときに従ひ機に応じて御指麾有しのみなり。長久手の後豊臣秀吉たばかりて。 当家普第の舊臣石川伯耆守数正をすかし出し。数正上方に参りければ。 当家にて酒井忠次とこの数正の両人は第一の股肱にて。人々柱礎のことく思ひしものゝ。敵がたに参りては。この後こなたの軍法的に見透されば。蝱に目のぬけしなどいふ譬のことく。重ねて敵と戦はん事難かるべしと誰も案じ煩ふに。 君にはいさゝか御心を惱し給ふ様も見えず。常より御けしきよくおはしませば。人々あやしき事に思ひ居たり……

※『東照宮御実紀附録』巻四「家康則武田軍法」

家康を天下人にすると宣言したのに、舌の根も乾かぬうちに出奔してしまった石川数正。

「関白殿下是天下人也(関白殿下、これ天下人なり)」

最早お前に天下は獲れない、秀吉に臣従すべきと書き置きを残した心中は、いかなるものだったのでしょうか。

これまでのパターンから、恐らく次週になって「実はこんな本心があるのでした」とタネ明かしがあるものと予想されます。

ところで、なぜ石川数正は秀吉に寝返ってしまったのでしょうか。

諸説をまとめると(1)秀吉によるヘッドハンティング(2)徳川家中における孤立、あるいは(3)家康がスパイとして送り込んだ、等々。もちろん複数の要素が絡み合っていたことは想像に難くありません。

これまで徳川家では特に戦術が確立されておらず、戦場ごとに臨機応変な戦い方で勝利をつかんできました。

永年にわたり蓄積してきた軍事機密を一気に漏洩され、手の内が筒抜けになってしまった家康。

次週に紹介されますが、これを受けて家康は徳川家の戦術を甲州流(武田流)に一新するのでした。

※父と共に秀吉へ寝返った石川勝千代(康勝)の生涯

大坂の陣で壮絶な最期!石川数正の次男・勝千代(石川康勝)がたどった生涯【どうする家康】

徳川家康(とくがわ いえやす)のブレーンとして、永年その天下取りを支え続けた石川数正(いしかわ かずまさ)。彼には石川康長(やすなが)・石川康勝(やすかつ)・石川康次(やすつぐ)などの息子たち…

第34回放送「豊臣の花嫁」

石川数正の出奔によって、手の内が筒抜けになってしまった徳川勢。

秀吉は家康さえも調略しようと、妹の朝日姫(山田真歩)を正室に迎えさせ、挙げ句の果てには母親の仲(高畑淳子。大政所)まで人質に出してきました。

徳川家康の後室・旭姫(山田真歩)とはどんな女性?その生涯をたどる【どうする家康】

天正7年(1579年)に愛する妻・瀬名(演:有村架純。築山殿)を処刑して以来、正室を迎えていなかった徳川家康(演:松本潤)。そんな天正14年(1586年)、政敵として対立していた羽柴秀吉(演:…

そして数正の真意を知った我らが神の君は、どんな決断を下すのか……次週放送も目が離せませんね!

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 後編』NHK出版、2023年5月
  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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