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「どうする家康」どうした数正?出奔したその胸中は……第33回放送「裏切り者」振り返り:2ページ目
一、第一次上田合戦
真田安房守昌幸。上田。戸石。矢津の城々明渡さんといふより。御家人をつかはされ請取しめんと有しとき。真田は信玄の小脇指といはれしほどの古兵にてあれば。さだめてかの城々も守備堅からん。その上彼が兄長篠にてわが勢の為に討れたれば。此度吊ひ(※弔いの誤記か?筆者註)合戦すべきなど思ひまうけしもしるべからず。彼がとき小身ものに。五ヶ国をも領するものが打負なば。いかばかりの恥辱ならん。こは保科芦田などに扱せよと仰けれども。老臣強て申請により大久保鳥居などの人々に。二万ばかりそへてつかはされしが。果して真田が為に散々打まけて還りしがは(※しかば、の誤記か?筆者註)。いづれも御先見の明なるに感じ奉りぬ。老臣重ねて兵を出さんと申上しに。岡部弥次郎長盛に甲信の兵をそへて。信州丸子表に出張し真田が様を見せよと命有て。長盛丸子に於て真田と戦ひしに。打勝て真田上田に引退しかば。ことに長盛が戦功を御賞誉有しとなり。(御名誉聞書。)
※『東照宮御実紀附録』巻四「真田昌幸」
さて、前に北条氏政と和睦する際、所領の安堵を保護にされた真田昌幸。
裏で秀吉とつながって家康に叛旗を翻し、討伐軍を返り討ちにしてやりました。昌幸と秀吉、同じ李(すもも)を食っていたことで裏のつながりが感じられます。
この真田昌幸は亡き武田信玄(阿部寛)の小脇指(懐刀)と言われた歴戦の古兵(ふるつわもの)です。
加えて長篠の合戦では兄たち(真田信綱・真田昌輝)が討死しており、その弔い合戦として反徳川に燃えています。
大久保忠世(小手伸也)や鳥居元忠(音尾琢真)、平岩親吉(岡部大)らが2万の兵を率いて討伐に向かったものの、ものの見事に翻弄されてしまったのでした。
これを上田合戦(第一次)と呼び、後々まで続く真田との因縁が幕を開けます。
このままでは収まらないと老臣たちが申し出て、今度は岡部長盛(おかべ ながもり)らが丸子表で真田昌幸と交戦。
今度は勝利したようで、真田勢は上田城へと退却。岡部長盛は武功を賞せられて一矢報いたのでした。
劇中ではセリフで結果が説明されるばかりで、合戦シーンがなかったのが残念です。
家康の強敵として今後も立ちはだかる真田昌幸ですから、ここは戦上手ぶりを視聴者にも印象づけて欲しいところでした。
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