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「どうする家康」絶体絶命の危機を乗り越え、神の君が無事に生還。第29回放送「伊賀を越えろ!」振り返り:4ページ目
服部半蔵は女大鼠を側室にした?
まぁ野暮はそのくらいにして、半蔵が女大鼠を抱き寄せて鼻の下を伸ばし、腹に一撃喰らっていた場面。
大鼠とあだ名をとっていた忍びには神谷権六(かみや ごんろく)という者がいたため、イコールではないものの、半蔵には側室がいたのでしょうか。
『寛政重脩諸家譜』から確認できる限りだと、長男・服部正就(まさなり)の母は松平定勝(まつだいら さだかつ)の娘、次男・服部正重(まさしげ)の母が大久保長安(おおくぼ ながやす)の娘。
そして末子三男の服部正廣(まさひろ)には、母に関する記述がありません。
正廣 郷八郎
※『寛政重脩諸家譜』巻第千百六十八 服部氏 服部
これだけです。母親が判明しているならそのくらいは書くでしょうし、兄たちとは母親が違う可能性が高そうです。身分が低いか身元を明かせないかの事情が考えられます。
母親が伊賀忍者だったかどうかは分かりませんし、恐らくそんな事はないだろうと思いますが、こういう可能性について考えてみるのは楽しいですね。
ちなみに「大鼠」というあだ名は、高天神城の攻略に活躍した忍者・神谷権六(かみや ごんろく)がとっていたそうです。先代大鼠(演:千葉哲也)のモデルかも知れませんね。
ともあれ、これで彼女はクランクアップでしょうか。先週の予告編で「最後の仕事」なんて言うからきっと死亡フラグだろうと思っていたのですが、幸せそうで何よりでした。
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