和菓子?洋菓子?みんな大好き「カステラ」の歴史に迫る!実はアノ料理との関係も…:2ページ目
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他の食べ物との関係も
ちなみに、1719年(享保4年)に書かれた西川如見の『長崎夜話草』では、長崎土産の南蛮菓子の一種としてカステラが挙げられています。この頃にはもう著名な土産物品だったのでしょう。
実際、江戸時代中期頃にはカステラは江戸城でも日本の菓子として認知されており、勅使の接待などで提供されていたようです。おそらく当時は高級な和菓子として扱われていたのでしょう。
その後は、さらに日本国内の各地域で特徴的なカステラが開発されていきました。会津若松の会津葵、愛媛県のタルト、島根県の八雲小倉、長崎市の桃カステラなどを思い浮かべる人も多いでしょう。
またシベリアケーキもカステラの発展形ですね。さらに台湾にも台湾カステラが存在しますが、これは日本による統治時代に伝わったレシピが台湾人好みに改良されたものと言われています。
また、ちょっと変わったところで、岡山県(主に倉敷市)の鮮魚カステラというのもあります。カステラの概念が菓子以外の分野にも影響してるのは興味深いですね。
他の分野への影響ということで、これは最後にトリビアになりますが、お正月に私たちがよく食べる伊達巻のルーツもカステラと関係があります。実は「カステラ蒲鉾」という料理が伊達巻のルーツなのです。
さらに言えば、伊達巻はなんとロールケーキをヒントにして開発されたとも言われています。これについては稿を改めていずれ解説しますが、一見無関係に見えるこれらの食べ物が実は江戸時代に深い関わりを持っていたというのは興味深いですね。
参考資料
THE GATE
Cake.jp マガジン
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