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ネタバレ注意!【どうする家康】度胸とズルさで乱世を渡り歩いた水野信元(演:寺島進)。彼を殺したのはまさかの…:2ページ目
佐久間信盛の讒訴を受け、家康に殺される
……三年三方原合戦のときも、援兵として浜松にいたる。天正二年一向の門徒蜂起せしとき、織田信雄が手に属して、長島篠橋の砦をせむ。三年佐久間信盛が讒にあひて、右府の憤をかうぶり、岡崎にのがる。右府使して信元を殺さむと乞れしかば、東照宮にもやむことを得たまはず、信元を喩され三河国大樹寺にをらしめ、十二月二十七日石川数正、平岩親吉がために害せらる。大英鑑光信元院と號す。刈屋の楞厳寺に葬る。室は松平内膳正信定が女。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百二十八 清和源氏(満政流)水野
水野信元は武田信玄(演:阿部寛)の侵攻に苦しむ甥っ子・家康への援軍として浜松までやってきました。
……信長公御家老之衆 佐久間右衛門 平手甚左衛門 水野下野守大将として御人数遠州浜松尓至参陣之處……
※『信長公記』巻五 元亀三年(1572年)霜月下旬
夜戦を主張する家康らに対して信元は籠城戦を主張。果たして出撃していった家康らに代わって浜松城を守り、窮地を乗り切ったと言います。
その後は天正2年(1574年)の長島一向一揆で織田信雄(おだ のぶかつ。信長次男)に従って武功を立てる、また天正3年(1575年)長篠の合戦に参陣するなど、織田家中において小さからず貢献した信元。
しかしそれを妬んだ佐久間信盛(演:立川談春)が信長に「水野は武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と通じている」と讒訴。真に受けた信長が処刑を命じると、信元は甥っ子・家康の元へ逃げ込んだのでした。
「なぁ。右府(信長)殿にとりなしてくれよ!」
古来「窮鳥の懐に入れば射られず(切羽詰まった者が助けを求めてきたら、殺しにくい)」とはよく言ったもの。家康も何とか伯父を庇いたかったでしょうが、そうは信長が卸しません。
とうとう圧力に屈した家康は天正3年(1575年)12月27日、石川数正(演:松重豊)と平岩親吉(演:岡部大)に命じて信元を殺害させたということです。
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