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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り:3ページ目

その後どうなった?見附城

「……見附?遠江を抑えるなら、曳馬じゃ」

劇中で信長に言われて曳馬城へ移った家康。それまで大改修していた見附城(城之崎城。静岡県磐田市)は、その後どうなったのでしょうか。

結論から言うと、見附城は完成を待たずして放棄されたのでした。理由としては(1)天竜川を背にするのは、対武田戦に不利となる。(2)現地町衆の自治≒抵抗が強く、統治しにくかった、など諸説あります。

(1)の地形については手を入れる前から分かっていたでしょうが、(2)の現地勢力については調整してみないと分からない面が大きいため、こちらの方が理由としては大きそうです。

そこで取り急ぎ浜松城(曳馬城を改称&拡張)へ移った家康。しかし劇中と異なり、移転時期は姉川の合戦(6月28日)より前でした。

……永禄十三年に号またあらたまりて元亀と称す。浜松の城規模広麗近国にすぐれければこの正月より移り給ひ。岡崎城をば信康君にゆづりすませ給ふ……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「元亀元年家康移于浜松城」

【意訳】永禄13年(1570年)に改元され、元亀元年となった。浜松の城は広くて立派なため、1月からこっちへ移り、岡崎城を嫡男の徳川信康(演:寺嶋眞秀)に譲り住ませた。

ストーリー上はどっちが先でも支障がないので「姉川の陣中で信長に命じられ、しぶしぶ移った≒大好きな瀬名ちゃんと離れ離れに」という展開を描きたかったのでしょう。

これが後に起きる築山殿事件(五徳姫の密告によって岡崎の瀬名&信康を処刑するよう、信長に命じられる)の伏線と見られます。

4ページ目 一度裏切ったら許さない?夫につく決意を固めたお市

 

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