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「どうする家康」殿さんが盗人の真似を…どうした家康!?第7回放送「わしの家」振り返り:4ページ目
まずは話し合って欲しかった
さて、岡崎城へ戻った家康は「あんなふしだらな寺を仏弟子とは認めない」と一方的に先代の合意を反故とし、年貢を強制的に取り上げる暴挙に出ます。
たちまち奪い返されていましたが、そんな弱い武士たちが、よく一向門徒から略奪できましたね(普通は奪い返されることを警戒して、精鋭を担当させるはずですが……)。
せっかく身体を張って領民たちの窮状を目の当たりにしたのに、せめて略奪?前に(松平家康として、公式の)交渉があって然るべきではなかったのでしょうか。
※少なくとも劇中にはその描写・説明がなく、ただ食事の席で「もうわしは決めたんじゃ」とばかり、ほぼ独断専行した印象を受けます。
「一つの寺を一つの国とお考え下され」鳥居忠吉(演:イッセー尾形)の忠告に喩えるなら、家康の行動は一国の総理が他の閣僚に相談もなく平和条約を破棄して攻め込んだようなもの。もし皆さんがそこの国民なら、どう思いますか?
史実でも、三河一向一揆の原因は不入の権をめぐる対立と言われています。しかしもう少し丁寧な描写がないと、視聴者は戸惑ってしまいそうです。
飢えに苦しむ領民たちの窮状を知りながら年貢米を無理やり取り立て、自分は家族(妻子たち)と幸せな食卓を囲む……その姿は、どこぞの独裁者を連想してしまいます。
「銭をやっても、アホウは戦にしか使わん」まったく仰る通りです。
……そして一ヶ月後(いや、その過程=戦闘場面こそ観たいのですが、お願いだから端折らないで?)。倒された家康は一向門徒に取り囲まれて絶体絶命。自分の短慮を後悔しながらいつもの絶叫……。
まったくもって自業自得ですが、きっと誰かが助けてくれることでしょう。例えば土屋長吉重治とかが(実際に彼は一揆側へ寝返るものの、家康の窮地を見逃せずに再び寝返り、家康を守って討死します)。
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