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乱世は愉快?民の悲しみを顧みないお市の発言
時をさかのぼること15年前、川で溺れたところを救われて以来、ずっと元康(当時は竹千代)に恋心を抱いていたお市。
武芸や馬術に達者な男勝りの姿は、とかく悲劇のヒロインとして描かれがちな彼女のイメージを変える斬新な試みだったのではないでしょうか。
ただちょっと気になったのは、お市の年齢。物語(清州同盟)の時点で永禄4年(1561年)、竹千代に助けられた15年前と言えば天文15年(1546年)。
お市が生まれたのは一般に天文16年(1547年)と言われるため、彼女はまだ生まれていません。よって今回のエピソード一連はフィクションとなります。
まぁ細かなことはさておいて、さらに気になったお市のセリフ。
「乱世は愉快。力さえあれば何でも手に入る。ただし男であれば(要約)」
仮にお市(および彼女に多大な影響を与えたであろう信長)に「今は乱世だ」という神の視点があったとしましょう(誰が言ったか「時代というのは虹みたいなもので、当事者にはその色がなかなか見えない」ものですが)。
確かに力さえあれば、欲しいものは何でも手に入るでしょう。でも、片方が「手に入れた」それは、もう片方にすれば「奪われた」ものです。
力で手に入れるとは、すなわち戦って敵を殺し、民を蹂躙すること。その痛み苦しみ悲しみを顧みることなく「愉快」と断じる姿は、21世紀にもなってなお他国を侵略し、少数民族を弾圧する独裁国家に通じます。
戦国時代と言っても、みんながみんな天下取り(いわば世界征服)の野望に戦っていた訳ではなく、多くの大名たちはただ貧しい暮らしの中で生きるための奪い合いを繰り返していたに過ぎません。
実際にお市たちが発言したならともかく、こういう思想の表現にはもう少し慎重であるべきか?と、一視聴者として感じました。
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