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二人は親子?それとも…源頼朝に仕えた雑色の鶴太郎・鶴次郎を紹介【鎌倉殿の13人】

二人は親子?それとも…源頼朝に仕えた雑色の鶴太郎・鶴次郎を紹介【鎌倉殿の13人】:2ページ目

鶴太郎、走る!

……又今日令進發駿河國給。平氏大將軍小松少將惟盛朝臣率數万騎。去十三日到着于駿河國手越驛之由。依有其告也。今夜。到于相摸國府六所宮給。於此處。被奉寄當國早河庄於箱根權現。其御下文。相副御自筆御消息。差雜色鶴太郎。被遣別當行實之許。御書之趣。存忠節之由。前々知食之間。敢無疎簡之儀。殊以可凝丹祈之由也。御下文云。

奉寄 筥根權現御神領事
相摸國早河本庄
爲筥根別當沙汰。早可被知行也
右。件於御庄者。爲前兵衛佐源頼ー沙汰。所寄進也。全以不可有其妨。仍爲後日沙汰。注文書。以申。
治承四年十月十六日

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月16日条

時は治承4年(1180年)10月16日、京都から源氏討伐に攻めて来た平維盛(たいらの これもり)を迎え撃つべく、頼朝は鎌倉から出陣しました。

「……これを箱根の別当殿へ」

「へぇ」

書状を渡された鶴太郎は、さっそく箱根権現(現:箱根神社)で別当を務めている行実(ぎょうじつ)に届けます。

その内容は「早川の荘園(現:神奈川県小田原市)を寄進します。なので平家の大軍に勝利できるよう、いつもより熱心に祈祷して下さい」といったものでした。

もちろん鶴太郎が文面を見る筈もなかったでしょうが、決戦に臨む頼朝の緊張した面持ちから使命の重要性を実感したはずです。

武衛被遣御書於泰經朝臣。是池大納言。同息男。可被還任本官事。并御一族源氏之中。範頼。廣綱。義信等可被聽一州國司事。内々可被計奏聞之趣也。大夫属入道書此御書。付雜色鶴太郎云々。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)5月21日条

少し月日は流れて元暦元年(1184年)5月21日。頼朝が京都にいる高階泰経(たかしな やすつね)に書状を送りました。

「……これを高階殿へ」

「へぇ」

書状には「平頼盛(たいらの よりもり。清盛の弟)とその子・平保盛(やすもり)の政界復帰と、源範頼(のりより。頼朝の異母弟)・太田広綱(おおた ひろつな)・大内義信(おおうち よしのぶ)ら源氏一族を国司に任じるよう、朝廷に根回ししておいてほしい」との旨が書かれています。

平頼盛はかつて頼朝の命乞いをした池禅尼(いけのぜんに。清盛の継母)の子で、平家の都落ち後に不遇を託ちていたのでした。

こちらも恩人の将来がかかった大事な書状ですから、滅多な者ではなく気心の知れた鶴太郎が適任だったのでしょう。

3ページ目 鶴次郎、走り継ぐ

 

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