二人は親子?それとも…源頼朝に仕えた雑色の鶴太郎・鶴次郎を紹介【鎌倉殿の13人】
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』。そこには征夷大将軍や執権といった著名人から、身分の低い召使いにいたるまで、さまざまなエピソードが収録されています。
召使いと言えば当時は雑色(ぞうしき。色は職が転じたものか)などと言われ、文字通りさまざまな雑用に従事していました。
今回は源頼朝(みなもとの よりとも)に仕えた二人の雑色・鶴太郎(つるたろう)と鶴次郎(つるじろう)を紹介。果たして彼らは、どんな活動に勤しんでいたのでしょうか。
親子で受け継がれた?雑色のノウハウ
『吾妻鏡』を見ると、鶴太郎と鶴次郎は同時に登場することがありません。
鶴太郎が登場するのは、頼朝が挙兵した治承4年(1180年)から平家討伐の本格化する元暦元年(1184年)までの2回。
一方で鶴次郎の登場は、頼朝が全国に守護地頭の設置を認められた文治元年(1185年)から東大寺が再建された建久6年(1195年)までの7回。
両者が交代するように登場しているため、鶴太郎が引退した跡を鶴次郎が継いだ可能性も考えられます。
当時は家業を継ぐのは当たり前でしたから、親から子へと雑色としてのノウハウを受け継いだのかも知れません。
「いいか、佐殿にお仕えする上での注意点は……」
主人の好みや価値観、嗜好などを伝えさせることで、雇う側としても使い勝手がよかったのでしょう。また子供の時から顔見知りだと、ツーカーの関係になれそうです。
しかしまぁ「そうだったのかも知れないな(そうだったら面白いな)」というところに留めておいて、さっそく二人の記録を辿っていきましょう。
ちなみに、父が鶴太郎で子が鶴次郎なら、孫は鶴三郎……かと思いきや、残念ながら『吾妻鏡』に登場していないため、三代目は襲名されなかったようです(できれば鶴十郎とか鶴十一郎とか見たかったです)。